CMパンクがプロレス界に戻るまでに7年の時が立ちましたが、その間に多くの事が変わった事を認めています。新たなAEWスターはButed Open Radioに出演した際、AEWと契約、Rampageに登場してから、何が一番変わったか聞かれました。
「パンデミックの影響でハウスショーが無くなったことが一番大きい。AEWのショーに毎回出て、Rampageの収録をしたとしても、テレビに出るのは週に一回か?Dynamiteのライブをやって、Rampageの収録をする。金曜の朝に飛行機に乗って、目的地に着いて、車を借りて、ビルに行って、レスリングをして、また車に乗って、隣町のホテルに行くのとは大違いだ。金曜、土曜、日曜、月曜、「火曜のテレビに出て欲しい」と言われ、火曜に出て、運が良ければ水曜には飛行機で帰れるかもしれない。そして、木曜日は寝るか、休むか、家族といるか、友人と連絡を取るか、ってね」
「それが、外から見た人間の最大の違いだと思う。AEWと俺が以前働いていた場所じゃたくさん違いがある。ビジネスを統合的に分析すると、これが最大の違い。会社はテレビ契約に基づいてお金を稼いでいるんだ。」
The First Danceでのデビューの話題では、パンクはマーク・ヘンリーのような旧友や新しい友人に出会った事を話しました。パンクは自らを90年代のテリー・ファンクになぞらえ、若いECWのロッカールームを作り上げるのに貢献した年老いたベテランとして語りました。
「俺はマークに会うのが好きだったんだ。どれだけ会いたかったか分からない。部屋に入って、大勢の人に『こんにちは』と言ったのを覚えてる『やぁ!はじめまして、お会い出来て嬉しいです』ってな。ディーン・マレンコを見つけて、盛大にハグをした。席に戻ろうとしたら、目の前のマーク・ヘンリーと目が合ったんだ。『どうしてあんたに会えなかったんだ!』と思った。抱きついたらすっぽり収まってしまうんだ。あの人はデカくて、シェイプアップされてる。とっても興奮したよ」
「古い友人に会えて嬉しいのか、それとも新しい友人に敢えて嬉しいのか、どっちかは分からない。俺は今、テリー・ファンクだ。そう、ECWのロッカールームに入ったテリー・ファンクなんだ。そこには、若くて、将来性のある、未来のスーパースターたちがいる。あいつらは俺に「10歳の頃、あなたを見ていたの覚えています」って言うんだ。俺は「あぁ!くそ!!そんなに年を取らせんな!!」と思いました。今の俺は素晴らしい、それだけだよ。」
共同司会者のトミー・ドリーマーは周囲から絶対に成功しないと思われていたがそれを打ち破った人物として評価されていることについてどう思うかを問いました。パンクは、そう思われてる事を光栄に思うと同時に、文字通りの納屋でショーを始めた男がどれほど遠くに来たのかをしめしていると言いました。
「そう思われないようにするのは難しいけど、本当にそう。謙虚さと地に足がついたついた状態で、そのすべてのバランスを取らなきゃ行けない。それを他人から聞くのは良いことだ。なぜなら、俺は屋根の上から『俺がやったんだ!』と叫ぶ事が出来るからね。。俺がやったんだ!最初に壁を突き破った奴は血まみれになるんだぜ!ってね。俺が車に乗って南インディアナに行き、イアン・ロットン(IWAミッドサウスのオーナー)のためにわずかなガソリン代で働き、南インディアナの納屋でたった6人の前で試合をし、『ジム・コルネットがOVWを運営してて、イアンを嫌っている。WWEには行けないだろう』と言われて、他の場所では働けないと言われていた理由が全て分かったんだ。俺は「はぁ、仕事を紹介してくれるのこいつらじゃないしな。こっちだし。トレイシー・スマサーズ(NWAやECW、WWFなどを渡り歩いたベテラン)と仕事が出来るんだ。なぜやらない?」ってね」
「俺がOVWにいた頃、あいつらは「CMパンクはインディーの王だから、絶対にテレビに出してはいけない」ってメモを送ってきた。俺は「メモ送ってきた奴と会話出来たらなぁ」と思ってたけど、一体どこで働けばいいって?インディーズだぜ!あなたのお父様が有望なテリトリーを全て飲み込んでしまったからこそ、そこにいるんだ。俺がやったことは、リング上でグッドストーリーをすることと、先人達から学ぶ事だけだよ。いつも面白いと思ってたのは、ダスティ・ローデスが、ハーリー・レイスが、テリーファンクが、トレイシー・スマサーズが俺を愛してくれたってことだ。彼等はみんな俺にお墨付きをくれた。なのに、他の連中は「お前は無能だ、絶対に成功しない」って言われて、「おかしな話だ。あの人達の言ってることがほとんどなのに」と思ったんだ。でも、肩の力が抜けて「あいつらが間違っている事を証明してやる」と思った。そして、その通りになりましたとさ」
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