WWE:実娘シャウル・ゲレロが語る故エディ・ゲレロの姿「父はこのビジネスをとても愛していて、常にレスリングのことを考えていました。」
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二世レスラーが増えてきた現代ですが、ファンや家族からの期待の大きさは変わっていません。
シャウル・ゲレロはクリス・ヴァン・ブリートとのインタビューで、今は亡き偉大なエディ・ゲレロの娘として、リングの中でキャリアを追いかける事がどのようなことなのかを語りました。
「父がどのようにして、自らの半分の時間をエディ・ゲレロとして過ごしていたのか分かりません。父はこのビジネスをとても愛していて、常にレスリングのことを考えていました。誰も彼にはなれない。いい意味で圧倒されていました。復帰を発表した時には、プロモーターから沢山の声をかけてもらい、とても謙虚な気持ちになりました。彼等は私を一番上のポジションに置きたがりましたが、私は「6年もレスリングをしていない」と言い続けました。」
「私が初めてプロレス界に入った時、世界で最も大きく、最も権威のある会社に入りました(2010年ディベロップメント契約、FCWデビュー)。それはとてもありがたいことですが、同時に最大のプレッシャーも伴います。ゲレロ流の「go hard or go home(努力するか、家に帰るか)」はもちろんのこと、大きな期待を背負っていて、トレーニングに行くだけでパニックになっていました。」
シャウルはエディ・ゲレロというキャラクターに魅了されたと言いますが、エディ・ゲレロという男に「怖い」と感じる事もあったと話します。
「私の父は、子供の頃から私を怖がらせていました。父がルコールやドラッグに苦しんでいた事はよく知られています。残念ながら、私が12歳、13歳になるまで、父の姿を見る事はほとんどなかったと思います。父との関係は複雑な物でした。本当の意味で父を知ったのは、13、4、5歳のときで、私が15歳の時に亡くなりました」
エディは2005年11月13日、心不全のために亡くなりました。シャウルはその日がどんな日だったかを振り返りました。
「父の妹のリンダといとこたちに起こされました。しかし、誰が亡くなったのか教えてもらえませんでした。私達をリビングルームに連れて行き、何が起こったのかを教えてくれました。母はいなかったので、姉とは別に私に話してくれたと思います。母は完全に取り乱していました。最悪の日でした。」
亡くなってから15年経った今でも、エディは全盛期と同じようにプロレス界で愛されています。シャウルは、父との思い出を振り返って、カメラが回ってない瞬間にこそ最高のものがあったと語りました。
「彼はいつでもフと優しくしてくれます。ある日、私がステップチームの練習に参加していると、彼はみんなのためにマクドナルドを大量に買ってきてくれました。ある日、私と子供達が退屈しているのを見て、水鉄砲をたくさん買ってきてくれました。もちろん彼は一番強いナーフのスーパーソーカーを買ってきて、バトルになりました。そういうことをよくしてくれました。彼は大きな心を持っていて、シラフの時は素晴らしく、ロッカールームで話し相手になってくれました。」
Wrestling Inc
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