WWE:中邑真輔が振り返る渡米での苦労、ブロック・レスナー戦への期待
- リンクを取得
- ×
- メール
- 他のアプリ
今週のオーラルセッションでは、元NXTチャンピオンの中邑真輔が新日本プロレス時代からアメリカに渡るまでの輝かしいキャリアについて語りました。英語のトレーニングは受けていたものの、アメリカ英語とそれに伴うマナーを理解するのに苦労したと振り返ります。
「中学校で英語を勉強しました。でも、先生は日本人でしたから、完璧に話せるかどうかは別です。それぞれの先生がイギリス英語を教えていました。アメリカに来たときは、サイレント・レターが何かも分からなかった。水を貰おうと思っても"water"の発音ができない。辞書を持ち歩いていました。レスリングはボディコミュニケーション。プロレスは世界共通の言語なんだ。だから、試合をする時にムーブを知らないといけない。英語を話せるようになったのは、ロッキー・ロメロをはじめとする多くの友人のおかげです。ブライアン・ダニエルソンと一緒に住んでいた事もあります。ブライアンにお願いして、私達の会話力が落ちないようにしてもらっていました。」
英語が話せないからインタビューを受けられないとパケットに言った時のように、あちこちでちょっとした風変わりな寸劇が行われ、中邑のマイクでのコメディアンとしての才能が披露されました。しかし、プロモのカットは今でも緊張するかと聞かれると、「はい、今でも緊張します」と答えました。
「そうですね。今は、短い台詞しか言われません。例えば、有名なジョークでも、僕はアメリカで育ってないから知らないんですよ。」
WWEに来て以来、中邑は様々な功績を残して来ましたが、"キング・オブ・ストロングスタイル"は、アメリカのプロレス界で自分自身を見つけるのにまだ苦労していると話します。
「まだプロレスで苦労しています。アメリカに来て、WWEに来て、チャレンジしています。僕は自分自身に挑戦するためにここに来たんです。」
パケットはビンス・マクマホンに助けを求めたり、アイデアを提案したりすることがあるか尋ねました。しかし、彼のオフィスに足を踏み入れる事はほとんどないといいます。
「彼にアイデアを提案する事はあまりありません。試合後に少し話したり、試合前にプロモのアイデアがあれば話したりします。それに慣れる必要がありますね。」
最後に、中邑はもし機会があれば、WWEのリングでブロック・レスナーと対戦したいと語りました。この2人は新日本時代に良い日も悪い日も経験しています。パケットは新日本時代にレスナーと一緒に仕事をした感想や、レスナーが王座を奪ってから剥奪されるまでのロッカールームの様子を尋ねました。レスナーは2005年にIWGPヘビー級王座を獲得しましたが、契約上の問題から3度目の王座防衛以降は防衛する事を拒否し、中邑のような選手がビッグタイトルのチャンスに恵まれないままになっていました。
「機会があれば、もちろん。僕も若かったし、彼も若かったし、分からないけど。(他のレスラーの反応としては)プロ意識に欠けていた、ってね。」
Wrestling Inc
- リンクを取得
- ×
- メール
- 他のアプリ
コメント
コメントを投稿