ランニングパワースラム、バーチカル・スープレックス………ダイナマイト・キッドと組んだブリティッシュ・ブルドッグス、ウェンブリー・スタジアムでのブレット・ハートとの象徴的な試合。ショーン・マイケルズとの戦い、オーウェン・ハートとのコンビ、そしてもちろん、ハート・ファウンデーションでの活躍。
"ブリティッシュ・ブルドッグ"デイビー・ボーイ・スミスのキャリアは、WWE殿堂入りを記念する感動的な瞬間に満ちています。史上最高の選手の1人として、スミスの地位は既に確立されており、今回の殿堂入りは、彼のリング上での輝きを振り返る絶好の機会となります。
彼の未亡人であるダイアナ・ハート・スミスは「彼のキャリアを振り返る事は長い間聴いていなかったラジオの曲を聴くようなものでしょう。聴けば美しい思い出の数々を思い出します。そう、デイビー」
スミスはプロレス界に強烈な印象を残しました。2002年に39歳という若さでなくなりましたが、彼が生み出した作品は今でも語り継がれています。リング上での洗練されたアプローチ、独特のスタイルとアクションフィギュアのような体格が相まって、WWEの歴史の中で最も記憶に残るパフォーマーの1人となりました。
スミスの息子であるハリー・スミスはデイビー・ボーイ・スミスJr.として活動しています。
「父はWWEでスターになり、そこで世界は"ブリティッシュ・ブルドッグ"を知る事になりました。父が殿堂入りする事になって本当に嬉しいです。」
スミスの遺産は、彼の息子に直接繋がっています。彼のレスリングは驚く程似ていて、同じようにパワフルで俊敏でありながら、常に確信を求める確固たる姿勢を保っています。
「父がいなかったら、私はレスリングをやっていなかったでしょう。この遺産を引き継ぐ事が出来て、とても光栄です。彼は素晴らしい父親でした。私が子供の頃、サッカーの試合で私やチーム名とを応援してくれた事など、ちょっとしたことも覚えています。彼はとても気にかけてくれました。父にはその精神とオーラがありました、それは私の背中を押してくれて、今の私を作ってくれたのだと思います。」
スミスの影響力はイギリス全土に及ぶ巨大な物でした。WWEのスターでスコットランド出身のドリュー・マッキンタイアは、イングランド、スコットランド、アイルランドのプロレスファンにとって、スミスがWWEでベルトを巻くずっと前から、彼等のヨーロッパチャンピオンだったと述べました。
「私は彼を見て育ちました。長い間、「レスリングはアメリカのものだ」と聞いていました。ブルドッグとユニオンジャックを見て、希望が持てたんです。」
スミスは赤、白、青のコスチュームを身に纏い、紛れも無い存在感を示していました。特にWWEでは英国を代表する選手として誇りを持って活躍し、WWEへの世界的な関心を高めるきっかけとなりました。
「ブルドッグは時代の先端を行っていて、非常に運動能力が高く、まるでスーパーヒーローのようでした。私のお気に入りはブレット・ハートで、特にハート・ファウンデーションでは彼と常に組んでいました。彼はレスリングに多くの喜びをもたらしてくれました、それに、自分が若かった頃、ブルドッグが"ルール・ブリタニア"で登場するのを聞いて、プロレスの曲だと思わせてくれました。教会や公共の場でブルドッグの詩が流れて、ブルドッグは人気があるんだな、と思ったものです。子供の頃はまだ分かっていませんでした。」
アイルランド出身のシェイマスも、スミスの作品には影響を受け続けている現役のスターです。
「彼はイギリス人、自分はアイルランド人で、イギリス人とアイルランド人の間には大きなライバル関係がありますが、いつもブルドッグがだいすきでした。特にダイナマイト・キッドと一緒にいた頃のブルドッグが好きでした。」
シェーマスのプロレスに対する愛情は、1991年にスミスがPoint Depotでのショーのためにアイルランドに来た時にさらに高まりました。
「WWEがダブリンに来た時、ブリティッシュ・ブルドッグを見てとても興奮したよ。ホーガンやウォーリアーは来なかったけど、ブルドッグは来たんだ。彼はメインイベントでテッド・デビアスと対戦したんだけど、あの試合はすごいと思ったのを覚えているよ。自分はブレット・ハートのファンだったから、ハート・ファウンデーションで一緒だった時も好きだ。オーウェンとチームを組んだときにはまた別な面を見せてくれた。テクニカルで、レスリングをしてるのが楽しい人でした。そして、アメリカのレスラーだけが出来るわけじゃないことを示してくれました。」
スミスの最後は複雑な事情を抱えており、若くして父親を失った子供達は心を痛めていました。しかし、彼の死後も、誇りを持ってパパと呼ぶ男を讃える人生を送ってきました。ハリー・スミスは自らリングの上でそれを行ってきましたが、スミスの娘ジョージアは舞台裏で父の遺志を継いできました。絶え間ない努力により、彼女はソーシャルメディアうえでブルドッグへの関心を再び高めました。彼女の情熱は、父の殿堂入りのための歯車を動かし、彼女が初めて愛した男への最後の贈り物となりました。
ジョージアはこのように語ります。
「これはとても意味深く、特別なことであり、家族全員が感動しています。父を代表する事は私にとって愛の結晶です。殿堂入りが実現した事にとても感謝していますし、嬉しいです。」
ジョージアは、父がリング上でカムバックした時にみせたような、驚く程の粘り強さで父の遺産を大切にしてきました。WWEネットワークの「アイコン」シリーズとして放映されるドキュメンタリーでもコーディネートを担当し、この成功の一端を担えたことを感謝しています。
「父は自分が大切に思っている人のためなら何でもする、そんな人でした。ハリーと私に最高の人生を与えようとしてくれました。彼がこのような評価をされていることをとても嬉しく思います。彼にはそれだけの価値があるんです。これは私達家族にとって、とても嬉しい事です。ドキュメンタリーを制作したり、殿堂入りさせたりなど、私には父に対する目標がありました。彼がこの場にいてくれたら、どんなに嬉しいでしょう。」
WWEの殿堂は、セレモニーやリングだけではありません。パフォーマー自身やその家族にとっては、追求のために犠牲と献身を払ってきた生涯の価値を認めるものです。プロレスは名声や富を得る事でおわるものではなく、大会やハウスショーに戻る事で終わるものかもしれませんが、目的地よりも旅をすることそのものが大切な分野なのです。イングランド北部の鉱山町で育ったスミスは、プロレスによって世界的な存在になる機会を得ました。その成果を子供達と分かち合いましたが、子供達は父への変わらぬ愛情を持っています。また、母ダイアナはハリーのためにブルドッグを飼いました。
「殿堂入りはレスラーとしてある種の不滅性を与えてくれると思います。彼は痛みや怪我を抱え、体を酷使していましたが、どんな状況でも子供達をとても愛していました。デイビーは子供達を通して現れます。彼が子供達の人生に残した足跡は決して置き換える事が出来ません。彼がここにいて、自分にとっての意味を話してくれればと思います。彼は子供達をとても誇りに思っているでしょうし、この賞を子供達と分かち合える事にとても感謝していると思います。」
遅まきながら"ブリティッシュ・ブルドッグ"は業界の伝説の中に位置し、WWEの歴史の中でその地位を確かなものにしました。彼の子供達が父親を不滅にするために愛情を持って戦った事は、彼の最終章に欠かせないものです。
ハリーは次のように述べました。
「私達は彼がようやく殿堂入りできることをとても喜んでいます。英国を始めとする世界中のファンにとっても、私達家族にとっても、これは後押しになります。皆に見てもらうのがとても楽しみです」
SportsIllustrated
コメント
コメントを投稿