AEW:クリストファー・ダニエルズが語るROH、TNA、AEWへの思い。カレーマンは実はライガーの声を真似した?
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クリストファー・ダニエルズがAEW正レフェリーであるオーブリー・エドワーズ、トニー・シヴァーニのポッドキャスト『AEW Unstricted』に出演しました。現在、AEWにおいてレスラーだけではなく、タレント全体の責任者としても活動するダニエルズは、AEWに加わるまでの流れなど様々なことに応えました。
「それは私がROHのリングでやりたいことを全てやりきったような気がしていたタイミングで、マットとニックから声をかけられたんだ。だけど、それはまだ未知の状態で、うまくいくとかいかないとかいえるものではなかったんだ。ただ、彼等が声をかけた人間を見て、成功するだろうなと感じた。幸運にも、彼等が依頼してきたタレントリレーションズの仕事をこなせ人材として、その日から動けるようになった。今のところ、彼等を失望させるようなことにはなってないと願っているし、自分では大丈夫と思ってる。」
「ほとんど知られてないレスラー達をプロレスの観客に紹介するという意味では、ここまで渡したちは本当に良い仕事が出来たと思ってるんだ。例えば、テレビ出演をした1年半の間に、より多くの人間がダービー・アリンやプライベート・パーティー、"ハングマン"アダム・ペイジを認知したと思っている。今ままで全国的に注目されていなかったレスラーも今ではよく知られています。その証拠に以前は8ヶ月の契約だったのに、TNTが2年延長したという通知を受けたんだ。自分的にはB+くらいの成績だけども、まだまだ上を目指せるって意味。1年目としてはかなり良い出来だと思ってるんだ。」
ダービー・アリンとのTNT王座戦などシングルとしての顔を見せるスコーピオ・スカイ、また自身のAEWでのレスラーの活動にも触れます。
「私はスカイのことを昔から知っています。彼とフランキー(カザリアン)はカリフォルニアのインディペンデントで一緒にレスリングをしたり、対戦をしたりして、より深い関係を築いていました。ある晩、ROHでスコーピオがヤングバックスや他のThe ELITEと試合をした時に、ニック・ジャクソンがマイクを取って『おい、こいつをここに置くべきだ!』って言ったことがあったんです。私はすぐにブッカーのところへ行って、彼を自分達の3番目に置くのはどうかと相談しに行きました。それから2ヶ月もしないうちに、SCUのメンバーは集まったのです。」
「レスラーとしては、皆に貢献する以外にやりたいことがあるとは思っていません。例えば、Dynamiteでモクスリーと対戦することをレスリング界が熱望しているとは思えません。私のファンの中には私がDynamiteに出るのを見たがっている人もいるでしょうが、正直なところ今、一番力を入れているのは、若い選手とのプロレスであり、彼等の成長を手助けする事だと思っています。それがDynamiteで実現すれば素晴らしい事ですが、Darkで実現しても素晴らしい事なのです。私が、あるいは他の若いレスラーがキャリアの中でしたような同じ過ちを繰り返さないようにするためには、どうしたらいいのか、という事です。」
タレント部門の責任者として、スティングがやってくることを隠しておくのがどれだけ大変だったのかを聞かれました。
「私はどこかのサイトを見ないので、「来週は誰が出る」とか「こいつが勝つ」とか見た事がありません。私が50歳で、そんな人間には送らないからかもしれないけど、Redditを見た事もありません。自分にとっては簡単なことですが、もっと多くの人が、会社の秘密を守るためにはどうしたらいいか考えてくれたらいいのにと思っています。バラした人間は狂ったインターネットで得点みたいなものを得るかもしれませんが、仕事を失うはめになります。誰も本当は知らなかったし、私も本当に知らなかったし、自分がそういうサイトに行って、噂を調べて、何が起こっているかを見る事もありません。しかし、スティングを獲得するという可能性があると聞いていたので、フロントオフィスを出て、トニーが明かすまでは黙っていようと思っていましたが、トレーラーが一つ停まっていました。マット・ニックとも幾度も話したし、(契約が)テーブルの上にあることも知っていたし、可能性があることも知っていました。」
レスリングとの出会いについて触れます。
「どちらが先だったのか、正直記憶があやふやだけども、コミックを買わず、テレビでプロレスを見ない時期はなかったです。私はノースカロライナ州で育ったので、プロレスへの入り口はミッドアトランティックでした。アトランティックはWCWの前身で、トレーニングをしながらWCWのスタジオでの収録を見ていた。84年か85年くらいにESPNで火曜の夜にタイタンズとワールドクラスのようにWWFを見る事ができるようになりました。マガジンで見る事はあったけど、テレビで見る機会がそれまでありませんでした。ケーブルが普及したことで、私が最初に目にしたのは、リック・フレアー、フォー・ホースメン、ダスティ・ローデスでした。」
「ニキータ・コロフ、マグナス・ゲイがお気に入りのレスラーで、ゲイが交通事故にあった時にコロフが助けに来て、ベビーフェイスにターンした時はファンとして信じられないほどの瞬間でした。それが私の入門であり、私にとってのプロレスなのです。プロレスは常に進化していますが、もし私がミッドアトランティック・レスリングの世界選手権で見ていた時の感覚をどうにかして他の人々に再現する事が出来れば、自分自身がプロレスをしているんだという感覚になります。」
「私の学位は演劇で、当時婚約者だった妻と一緒にシカゴに移ったんだ。シカゴの演劇界に入ることを考えていましたが、もしこれが上手くいかなかったとしても、いつでもプロレスに行けると思っていたんだよね。彼女はウィンディシティープロレスリングに密かにアポイントメントを取っていて、私は車に乗せられ、運営をしていたサム・ベセラと会話をしました。すぐに惚れ込んでくれて、93年の1月に始めて、4月には最初の試合を行い、5月にはイベントで優勝したんだ。週4日、30分かけてレスリングスクールには通ってました。レスリングファンとして育ったことで、自分の人生の中で見た事のある技を簡単に覚える事が出来るようになりました。」
「2001年にWCWを学び、04年にはスカウトに参加、08年1月にはみちのくプロレスに参加するため日本への旅を行いましたが、その間にケビン・サリバンが私を雇いました。ですが、その間にサリバンは解雇され、エリック・ビショフが引き継いでいました。私はなぜケビンに雇われたのかというk新しい理由を彼等に押し上げ、『よし、君を連れてこよう、アイデアがある』と言わせました。しばらく経って、電話がかかってきて、アトランタに向かいました。」
ROHの創設者の一人と言われ、ROHの名誉を高めるために多くのことをし、またTNAでも同じく様々なことをしてきたダニエルズに当時のことを聞きます。
「当時、ROHはECWのテープを集めてるような観客が多く、ファンベースを獲得していました。そこから、Fox、Spike TVに行きました。Spike TVの観客はかつてのWCWのようなケーブルネットワークを持っている客が多かったように思います。ダニエル・ブライアンになったブライアン・ダニエルソン、Low-Ki、CMパンクがいましたし、TNAではAJやサモア・ジョーと何度も仕事をしました。このような試合は今でも人々の記憶に残っています。この2つの会社を築き上げたという意味で、私が全ての歴史の一部であり、その一人であると考えられているということは、私にとって世界を意味するものです。2つの会社で最初の2、3年を過ごしたことは、今の会社が楽しめている基礎を作るためにとても意味がありました。もし、かつてのROHを見ている人が、現在の状況に私が大きく関わっている事を知るのはとても意味のあることだし、TNAを見ていたら、もし多くのメンバーの働きがなければ、廃業していたかもしれないことを知るのはとても幸運なことだと思います。」
「今の会社と同じように、TNAには全国的なスポットを浴びる事が出来なかった選手達がいました。今ならジャングルボーイ、ルチャ・サウルス、マルコ、プライベートパーティー達がいますが、TNAが犯した過ちを繰り返さないポイントは、クリエイティブなプロレスにおいて排除ではなく協力しているという感覚があることです。いつもではありませんが、よくあることで、質問が多過ぎる男として噂になり、結局TNAでは痛い目にあいました。AEWでは、マット・ニックのような人間と、もしこれをやったらどうか、それがどうなったら、これの代わりにこれをやったらどうかなど会話が出来たことはとてもポジティブだと思っています。」
Twitterで寄せられたいくつかの質問にダニエルズが応えます。
・ダニエルズの代名詞ともいえる『Best Moonsault Ever』をインディーズレスラーがフィニッシャーとして使う事について
「シェーン・ヘルムスが最近Twitterで言っていたけど、『一度心を開いたら、もう自分だけのものではない』と言っていました。例えば、人々がエディ・ゲレロを浮かべると思います。同じ事を他のレスラーもやっていたと思いますが、彼は自分のものにしました。私が最初にやった男ではないですが、人々が私だと思っています。それは私にとっては最高にクールであると同時に、私から何かを奪うことはできない象徴です。」
・レスラーとして、身体的な面と、試合を組み立てる創造的な面、どちらが好きですか?
「試合を組む相手が同じ考えを持っていて、「ダメだけどダメじゃない」というよりは「これはどうだ?」「これは?」「こっちは?」「こんなのは?」という感じになるのが好きだし、SCUの面々は似たような考え方をしているので試合がまとめやすいです。特に誇りを持って試合に臨み、自分が期待していた、望んでいたようなサミー(ゲバラ)のリアクションを見たりするのはとても満足のいく感覚です。プロレスの面白さはそのストーリーを伝える事であり、相手が思い通りにはんのうした時には、私がTwitterでも伝えようとしているストーリーが伝わっている気がします。」
・サモア・ジョーとAJスタイルズとのクラシックマッチが行われた夜、何を考えていましたか?
「私達はその日までメインイベントになることを知りませんでした。歴史上、様々なことをしてきた会社に対して、おそらく私と同じように思っていた人が多くいると思いますが、まさか自分達をその週のメインマッチにしたり、世界チャンピオンにしたりすると思っていませんでした。与えられた機会で泳ぐのか、沈むのかどちらかと考えて、この機会に感謝をし、フェンスを蹴破ってでも、何が何でもホームランを打ってやろうと思っていました。ゴングが鳴ったとき、涙が出てきて、自分が今まで体験したことのないことをしたんだと思った事を覚えています。あの夜、私達は特別なことをしたんです。2人の親友と一緒にいれたこと、そして、あのレベルのパフォーマンスが出来たことはとても幸運でした。私達がしたことは、全ての星が一直線に並び、本当に素晴らしいものでした。」
・カレーマンにはもう会えませんか?
「この2、3ヶ月考えていたんだけど、幕が降りて、さぁ、やろうと思っても、TNAの時と同じようにカレーマンをやると人種差別にならないか分からないなと思って……あの時は、誰が見ても自分だって分かるようにしたかったんだけど、ジェフ・ジャレットが『いや、君じゃない』っていうから、カレーマンは日本人で日本人の声を出すってアイデアになったんだ。ステレオタイプの声じゃなくて、ジューシン・ライガーの声を出してたんだ。そのままライガーの声を使って、もしあなたがそれを知らずに日本人だったりして、この白人の口から日本語のアクセントで馬鹿げたことを言っているのを聞いたら、本当に怒るかもしれないだろ。クレームがあるか分からないけど、やるなら再構築しなきゃいけないと思う。アイデアはあるけど、カレーマンは夕陽に向かって走っていって、遠くから眺めるぐらいでもいい気がする」
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