ROH:7.26PPV「Death Before Dishonor」の女子王座戦2試合が発表!アテナvsアミナタ、スタークスvsベルベット、手負いの世界王者アテナは防衛することが出来るのか。

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7月26日金曜日に開催されるROH Death Before Dishonorで行われる2つのタイトルマッチが発表されました。 女子世界チャンピオンのアテナは、クイーン・アミナタを相手にタイトルを防衛することになりました。この試合は木曜日のROHで発表されました。アテナは5月から活動を休止しており、リング上での欠場はストーリー上の負傷が原因とされています。女子世界チャンピオンは5月の最後の試合で怪我の恐怖に苦しみましたが、それはストーリーの中で誇張されています。 アテナの「手先」ビリー・スタークスもDeath Before Dishonorでタイトルを防衛します。PPVでレッド・ベルベッドを相手にROH Women's TV 王座の防衛戦を行います。 木曜日の放送では、リー・モリアーティーがROH Pure Championship Proving Groundの試合でウィーラー・ユータとタイムリミットで引き分けたので、チャンピオンシップへのチャンスを手に入れましたが、まだPPVでは公式に発表されていません。 Wrestling Observer 

日本のプロレスは"解像度"を上げる事が出来るのか

世界的なコロナ禍により、プロレスの興行が停止したり、無観客で行われるようになって数ヶ月。自分の仕事が変わったり、その直後にこの状況に巻き込まれて、色々な部分で宙ぶらりんになってしまって、なかなか文章を書く気持ちにならなかったのが本当のところだ。

とはいえ、プロレスの諸々を見るのは止めたわけではないのだが、その中で気になった事が幾つかあった。無観客になった事で試合の多くはテレビだったり、インターネットを通じて配信されるようになった。つまり、テレビカメラを通して我々の元へとやってくるようになった。

試合会場に行けないフラストレーションを抱えてる人は大勢いるようだが、辺鄙な北の地に住んでる人間からすれば実際、今までのプロレスを楽しむスタンスとなんら変わらないと言えば変わらない状況だったのである。パソコンなりテレビの前に座って、画面の向こうで起こる様々な事を見る………はずだった。

しかし、どうだろう。どこの団体もこの数ヶ月で配信をベースにしたプロレス、ということを考えた時に今までと同じプロレスをしている団体がどれだけあるだろうか。それはムーブであったり、カメラへのアピールであったり、ストーリーであったり、この四角い画面の中で起こるインパクトをより強めているように思う。

そういう日々の中で、蝶野が発した「昔からテレビ局の撮り方が気になっていた」という発言が心のどこかで引っかかっていたのだ。



【蝶野の指摘】


WCWなどでテレビ放映をベースにした収録、撮影の手法を味わってきた蝶野にとってテレビ朝日の中継班が作る映像や編集がどうにも野暮ったく感じていたという話が、武藤との対談の中でこぼれたのだ。武藤はそんなことないけど、と返してはいたものの、この違いはまさに今、プロレスがどうあるべきかを問いかけてきているのではないか。

新日本プロレスはこの問題が発生した際に、ブシロードとして別コンテンツで無観客ライブを行い、十分コンテンツとしての熱を伝えうるという確信を持っていた。しかし、選手の側から無観客試合への参加を断られたという流れがある。2月頃の空気感としてすぐに収束するという見方があったり、無観客とはいえ集まることへの不安というものもあったのかもしれないが、業界の盟主である新日本は慎重な判断をせざるを得なかった。

新日本はこの数年ワールドを通して、インターネットでの配信を行ってきた。だが、その映像手法そのものはテレビ朝日の長年の方法論を踏襲したものであり、ある意味安心感のある画作りと言わざるを得ない。強く言うなら、蝶野からすると面白みの無い画と言う話になる。

これは単純な技の作りや試合構成の作りというものではなくて映像技術の話になるが、一つの興行を通して見た時に同じような構図のカメラワークがどれだけ頻発しているかという観点で見ると、新日本の興行は実はかなり単調な作りになっている。さらにそれがシリーズ、年間を通して見た時にどれだけ同じことをしているだろうか。ここに発展性がないのだ。

あくまでもワールドやテレビでの放映はライブコンテンツの補足という位置づけであるならば、それでもよいが、この状況になった時に今の映像技術で試合を行うと、選手のやっているリングの中ではないところで、飽きられてしまう危険性が近付いているのである。



【変わってしまった"解像度"】


先日、ノアでの行われたグレート・ムタの試合。武藤は桜庭をテレビを盛り上げた人間と評し、新しい映像の時代のプロレスをしようと告げたものの、その仕掛けは少し外れたようにも見えた。例えば消化器を使うのに手間どう様が映ってしまうのも、リハーサルやカメラワークの問題と言える。これは"解像度"が変わってしまったことの弊害ではないだろうか。

解像度というと、テレビのサイズ、を想像する人が多いかもしれない。より高精細で細かく綺麗に見えるというイメージではないだろうか。察しの通り、ブラウン管で見ていた頃のプロレスとは違い、ちょっとしたビデオカメラとテレビでも解像度が高くなっているから、選手の口元まできれいに映ってしまうのはプロレスのうやむやなところまで拾ってしまっている。

実際、WWEでは放送がフルHDに移行する中で、試合の中での規定、カメラに映る上での注意事項がかなり事細かく変更されてきた。レスラーやスタッフが一丸となって解像度が上がることへの対応をしてきたと言える。

だが、日本のレスラーは今までそういう概念で自身のプロレスを振り返ったことはあるのだろうか。

地上波での放送から遠ざかった団体も少なくなく、配信でカメラに映るというよりかは半ば記録用のカメラが回っているレベルという印象が拭えない。ライブコンテンツとしての試合は行っているが、配信サイズの試合という概念をここに来て、急に喉元に突き立てられてしまってはいるように思うのだ。

ただ一番、高解像度な体験というのは、もちろんライブコンテンツである。会場に行って、席に着いて、空気の振動や周りのお客さんの空気まで含めると、非常に解像度の高い体験をしているということになる。しかし、この状況ではそれは出来ない。つまり、変わってしまった解像度に対応せざるを得ないということである。



【WWEとブシロードの手法】


この解像度という観点でWWEが出した一つの答えは、レッスルマニアでのアンダーテイカー vs AJスタイルズ、ジョン・シナ vs ワイアットのまるで短編映画か映像作品かのように作り込まれた一戦だ。後に株主に対しても今後このような試合の提供は想定しているというコメントが出たが、自社で普段の放送のカメラ、編集をしているだけでなく、映画を撮る仕組みも抱えているWWEだからこそ出来たとも言えるが、映像としての情報量、画の力、ストーリー性、展開力………ありとあらゆる出来る限りのことをした結果と言える。

アンダーテイカーvs AJスタイルズでは建物や照明の作り、編集の隅々まで非常に凝った構造、すなわち解像度の高い作品として仕上がっていた。一方、先日行われたマネー・イン・ザ・バンクは往年のエニィウェアフォールやバックステージの乱闘での名場面を丁寧になぞりながらも、WWE本社ビル屋上での最終局面、かつ、驚きの戴冠劇というこれまで培ってきた別な手法を思いっきりやってきた形になった。

AEWが旗揚げして以降、WWEの放送に対する禁止コードが変更されたこともあり、90年代のインパクト重視の映像論をまた掘り返しているという流れも感じられるが、様々な面で充実していることが分かるのが、コロナ禍以後のWWEと言える。

解像度という観点で、ブシロードを読み解いてみると、面白いことが見えてくる。ブシロードの今のコンテンツというと、ラブライブやバンドリなどの作品になるのだが、このどれもがただのアニメ作品ではなく、ライブコンテンツとしての軸を同時に持ち合わせている。

ラブライブでは、ライブコンサートで声優自身が作品中のアイドルと同じダンスを行うなど、まるでそこにキャラがいるかのような実存性を生み出してきた。一方、アニメ映像のみのフィルムコンサートでも全国映画館で同時配信を行うなど、3次元と2次元の間で異なる解像度をどちらにも浸食させる実験を常に行ってきた。

バンドリでは、声優が楽器を弾いてバンドとしてライブをするだけではなく、プロのミュージシャンを声優としてデビューさせる新たなバンドが登場するなど、さらに複雑で解像度の高い実験を行っているわけだが、ここに伴うのは一つの身体性である。

先ほども述べたように、ライブコンテンツで得れる体験の解像度は高く、それは体の五感を通じて感じる情報量の多さから生まれている。アニメ作品には声優がいるわけだが、2次元というのは当然3次元よりも情報量が少なくなる。それが声優やアクター自身がライブコンテンツとして存在することでより解像度の高い体験を生んでいると言える。



【どこで解像度をシフトしていくのか】


この話は、日本のプロレスがWWEのような不可思議なことをしろというものではない。ただ、今までのライブコンテンツを主体としたプロレスの撮影手法から、四角い画面の中で見る映像としての撮影手法に移行する必要はあるのではないだろうか。

細かな話ではあるが、相手を蹴るモーションの時にどの角度から撮るのがきれいに撮れるのか、インパクトが大きく見えるのか、倒れる選手のリアクションまで見えるのか、ということを突き詰めなければ、解像度の上がったこれからのプロレスではその魅力を伝え切れない、いわば4Kの解像度のプロレスにならない、という話なのである。

藤田と潮崎が見せた30分の睨み合いというのは、シチュエーションと違和感が生んだ大技ではあるが、あんなものは2度使えないし、結局のところ、選手の持っている情報の濃さで持たせた代物であって、映像技術と編集で言えばB級作品だった。あの緊張感をまるで三船作品における斬り合いの間のように捉え続ける必要がある。



テレビ局がこの一歩を超えてこない限り、プロレスはライブコンテンツという枠組みを越えることは出来ない、引いてはコンテンツの在り方そのものがライブコンテンツというニューノーマルの時代にそぐわないエンターテイメントのまま、その灯火を消す可能性さえもあるのだ。



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