これは必然の一撃である。6.29 AEWの興行でコーディがリングに乱入したショーン・スピアーズに椅子で激しく頭部を殴られダウンする一幕があった。
ショーン・スピアーズというレスラーの素性とコーディの関係性は非常に複雑だ。まず、彼はWWEでは「タイ・デリンジャー」という名前で知られている。NXTでは実力者として恐れられ、スマックダウンへ昇格するもなかなかチャンスに恵まれずにいた。
し
かし、彼がWWEに所属するのは、それが初めてではない。2006年に傘下団体OVWでデビューをしている。OVWはNXTが出来る前、選手の調整や指
導、養成を担うような下部組織であり、ランディ・オートンやブロック・レスナーもここで指導を受けていた。コーディとの出会いはOVWまで遡る。
ご
存知の通り、コーディの父親は"アメリカン・ドリーム"ダスティ・ローデス、兄は現在、タッグを組む”ゴールダスト”ダスティン・ローデスだが、コーディ
がプロレスの指導を受けたのは、OVWとされている。スピアーズは当時、コーディのタッグパートナーであり、プロレスというものを教えてくれたのはスピ
アーズだとコーディも語っている。
コーディは1年足らずでRAWに昇格、スピアーズも追うようにECWへ昇格し
たのだが結果に繋がらず2年程で解雇となった。その後はインディー団体を歩き回り、一時、全日本プロレスにも留学生として訪れていた。スピアーズが再び
戻ってきたのは2013年、入れ替わるようにコーディは2016年にWWEを脱退して、アメリカインディーに足を踏み入れた。
こ
れだけでも彼等の物語が非常に濃厚だと感じるだろう。しかし、スピアーズにはもう1つ、コーディとの関係と切り離せないワードがある。彼の父親は"ザ・
ミッドナイト・スタリオン"タリー・ブランチャード。80年代NWAを凌駕したヒールユニット、リック・フレアー率いるフォー・ホースメンのオリジナルメ
ンバーである。86年にはNWAナショナルヘビー級王座をダスティ・ローデスから奪取している。
そう、この物語は彼等自身だけの物語ではなく、彼等の父親達から脈々と続く遺恨の物語なのである。
メ
キシコやカナダでは、家族代々プロレスラーというのが珍しくはない。例えば、ネグロ・カサスを代表するカサス家や、マスカラス、ドスカラス、シコデリコな
どのロドリゲス・アレジャーノ家、ピエロー、ルーシュ、ミスティコ、ドラゴンリーのムニョス家、カナダは祖父スチュハートを中心とした親族ハート家が有名
なところだろう。
アメリカでもこの20年で、2世代、3世代レスラーがどんどんと増えてきた。リックフレアーの
娘シャーロットはWWE女子の中心人物だし、ランディオートンは言うまでもない。サモアンのアノアイ家はロックや様々な選手を生み出してきた。WWEはこ
れまでフォー・ホースメンやレガシーなどのユニットで彼等2世レスラーをギミックとして活かしてきたが、今回の一戦ほど濃厚なものはあっただろうか。
さらに、スピアーズにマネージャーとして父親がつくという話が出てきている。
これまで単発の興行が続いてきたAEWだが、この対決が一戦で終わるとは思えない。彼等の歴史の中で、交錯しすれ違ってきた間も積み重なり続けたものがあれ
ば、非常に大きな作品となりえるはずだ。ここ最近のWWEが瞬間的な数字、インパクトに明け暮れている中で、質の高いストーリーが生まれることはアドバン
テージになりうる。彼等の物語は今、再び始まろうとしている。
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