今年のG1は異例づくしだ。開幕戦がアメリカ、ダラスで開催をされること、後楽園、武道館3連戦、IWGPジュニアヘビー級王者オスプレイや鷹木のヘビー級参戦、先日までWWEのトップにいたジョン・モクスリーの参戦……様々な要素が盛り込まれた。
G1
クライマックスというシリーズは、世界的に見ても過酷さでは群を抜いており、一ヶ月半近くに及ぶ中、シングルでの連戦が繰り返される。リーグ戦のない日も
次の試合の前哨戦となるような試合となるため、張りつめた日々が続くわけだが、今年は日本を飛び出し、アメリカでこの開幕戦が行われるとあり、その温度感
や盛り上がりに注目が集まっていた。
この数年、G1開幕戦はド頭から事実上の決勝戦では!?と思うようなカード
が並べられてきたわけだが、今年発表された初日の開幕戦メインのカードはなんと棚橋vsオカダ・カズチカ。G1で何度も当たりながら、時間切れ引き分けな
ど勝敗を喫したことのない、まさしくこれまでの決勝戦のようなカードであり、今の新日本とはどういうものか、というのを真っ直ぐに示すカードが提示され
た。
その一方で、気になるカードがもう1つ。飯伏vsKENTAの一戦。ついに新日所属となり、昨年の準優勝を
越えて悲願のG1優勝を狙う飯伏の前に立つのは、全日本の流れを組むNOAHで育ち、WWEへ参戦、盟友柴田に誘われ、この新日本に行き着いた
KENTA。両者共に蹴りを得意とし、アメリカのプロレスファンには知れた顔であることは間違いない。だが、メインとは正反対にこれは余所者のカードなの
だ。
飯伏vsKENTAに関しては、少しだけ物足りなさを感じてしまった。いや、試合中に放ったプランチャで飯
伏が左足首を強打してから試合のペースががくっと落ちたところへ、KENTAの頭部への蹴りの連打からGo2Sleepで試合が決まったというのはなんら
かのアクシデントも考えられるし、KENTAの試合とはどういうものなのかという、新しく新日のファンになった人達へのプレリュードとしては機能したと考
えられる。
直接的に新日のレスラーとぶつけるよりかは、タイプが似ていて、お互いにアメリカでの知名度が高い飯
伏と対戦して、それを印象づけるのは分かりやすい構造ではあるが、別々の道を歩いて、ついに交わる両者の対戦を考えるともう3歩先の攻防というのが考えら
れる対戦だけに割とあっさり決まった決着が物足りなさとなった。これも余所者故の話なのだろう。
棚橋vsオカダ
の試合は、非常に安定した内容でありながら、棚橋が膝へのダメージから封印していたハイフライフローを解禁。さらに場外へのハイフライフローアタックも見
せるなど決死の攻防となるも、オカダは盤石の強さでこれを沈めて、二人のG1史上初めての決着がついた試合となった。
さて、ここでアメリカやその他の国での試合、またリング上に外国人参戦者が増えている新日マットで1つの問題点が生まれてくる。試合後のマイクアピールを何語でするのかという問題だ。
日
本で外国人選手が締めのマイクを握った時に上手く伝わらない問題が非常に大きい。その選手が喋る英語の内容をどんどん下げていけば伝わるようになるかもし
れないが、これが地方大会などになるとかなり難しいのではないだろうか。しかし、そんなことを理由に日本人選手が優遇されるような状況では海外のシェアを
奪いにいく状況ではバランスが取れない気がするのだ。
WWEマットで時折、中東系のレスラーが盛り上がるのはマーケットとしてその地域を取りに行こうとすると、自分達の出身に近い選手が活躍すると盛り上がるのは確かな話なのだが、今の新日マット、特にヘビー級ではそれは難しいだろう。
反対に、日本人選手で海外で滞り無く英語でコミュニケーションを取れる選手というのは早々いない。海外武者修行に行っていた選手、特に積極的に向こうのコミュニティに参加しようとしてた選手はブロークンイングリッシュながらも、会話が出来る。高橋裕二郎はそのクチだ。
棚
橋は単語レベルのコミュニケーションなら来日した選手と交わしているのをよく見るが、メインを締めるには及ばないだろう。また全部を英語でやってしまう
と、日本人の観客を置いてきぼりにする結果となってしまう。グローバル化において、そもそもの母語がアメリカの世界的な団体と日本という狭い規模の団体で
そういう部分が発生しているわけだが、この日、マイクを握ったオカダは、まず頭に「I can't speak
English.」と英語でアピール。
いやいや英語喋ってるやんとみんなツッコんでいるのか、こないだのオーストラリアでもウケてたツカミだったのだが、
その後も流暢とは言えない、中学生レベルの構文だが非常に分かりやすく英語で、ダラスにもう1度、G1優勝、そしてIWGP王者として帰ってくることをア
ピール。最後は日本語でいつもの「金の雨が降るぞ」と締めてみせた。
これはケニーが日本語でのアピールの後、英
語で最後締めてたものと逆の現象である。オカダの英語はおそらく日本人でも十分に理解できるレベルの英語だった。現時点でのバランスとしては絶妙なところ
だったと言える。ただ今後のことを考えると、レスラー自身の幅を広めるという意味で英語を喋れるようになるということはとてつもないアドバンテージになる
のではないか。
試合内容こそ今の新日を代表するカードではあったのだが、アメリカでの試合、アメリカでのマイクパフォーマンスを通して、他所でのプロレスと新日本プロレスの在り方を考えさせられる試合となったのであった。
ち
なみにだが、実はこの状況にうってつけの男がいる。SANADAだ。数年に渡り、TNAで試合を行い、英語でのコミュニケーションは何も問題が無いはず
だ。それでいて、新潟を世界で一番愛している彼ならこの難しいバランスを乗りこなしてしまう気がするのだ。しかし、彼は寡黙である。果たして喋ってくれる
のだろうか。
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